唯一無二の偉業達成 千葉県内高校野球、長年けん引 石井好博さん死去

5年ぶりの甲子園出場を決めて胴上げされる石井好博監督=1980年7月27日、千葉市の県野球場(現県総合SC野球場)
5年ぶりの甲子園出場を決めて胴上げされる石井好博監督=1980年7月27日、千葉市の県野球場(現県総合SC野球場)
エースとして出場した夏の甲子園で初優勝した習志野高=1967年8月20日、甲子園球場
エースとして出場した夏の甲子園で初優勝した習志野高=1967年8月20日、甲子園球場
千葉ロッテの始球式で、投手を務めた石井好博さん(右)と、教え子で打席に立った千葉ロッテの福浦(当時)=2019年6月14日、ZOZOマリン
千葉ロッテの始球式で、投手を務めた石井好博さん(右)と、教え子で打席に立った千葉ロッテの福浦(当時)=2019年6月14日、ZOZOマリン

 習志野高校野球部のエースとして、1967年の夏の甲子園で初の全国制覇を経験し、監督としても75年に母校を2度目の頂点に導いた同校野球部元監督の石井好博さんが26日、死去した。真摯(しんし)に野球に取り組む姿勢で、多くの人に愛された石井さん。突然の訃報に、千葉県内の関係者の間には悲しみの声が広がった。

 67年は全国選手権千葉大会を成東と共に勝ち上がり、 ・・・

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