安房の浜は京の活気 伝統の味守り続ける人々 【ふさの国探宝・房州の捕鯨文化】

 江戸時代の安房勝山(鋸南町)。さぁ突いたかしょ突いたかしょ-。ツチクジラを仕留めた漁師たちの鯨唄が時を超えて聞こえてきそうだ。ここは捕鯨の伝統と食文化が息づく安房の国。現代も南房総市和田町には関東唯一の沿岸捕鯨基地があり、捕鯨文化を継承している。

 江戸初期、勝山の浜名主だった初代醍醐新兵衛定明(1632~1704年)は鯨組3組57船500人に世襲の権利を与える。醍醐家は代々新兵衛を名乗り、明治初頭までの220年間にわたり組織集団による捕鯨が続いた。捕鯨は勝山藩挙げての事業として、この地に富をもたらす。狂歌師、蜀山人が「いさなとる安房の浜辺は魚篇に京という字の都なるらん」と、にぎわいぶりを詠むほどだった。「鯨一頭、七浦潤う」の言葉も残る。

 鋸南町の笹生浩樹学芸員(50)は「里見水軍の血を引く漁師が、巧みな操船で音も立てずにクジラに近づき戦った」と繁栄の背景を読み解く。

 明 ・・・

【残り 854文字、写真 1 枚】



  • Xでポストする
  • LINEで送る