両親を気遣う(1) 国木田独歩(21)

 父の退職により自活の必要に迫られた独歩が、職を得るために奔走し、大分県佐伯で鶴谷学館の教頭としての地位を得るのは、銚子から戻った四カ月後の明治二十六年九月末のこと。徳富蘇峰の紹介と矢野竜渓の推薦だった ・・・

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