風船爆弾80年、一宮に基地 「ふ号作戦」地元資料が伝える 紫の気球片、郵便物は検閲 

風船爆弾の打ち上げに関わったとされる部隊が郵便局に出した文書を説明する江沢学芸員=一宮町
風船爆弾の打ち上げに関わったとされる部隊が郵便局に出した文書を説明する江沢学芸員=一宮町
風船爆弾の気球部分とされる断片。紫がかっている
風船爆弾の気球部分とされる断片。紫がかっている
風船爆弾の打ち上げ台の一部とされるコンクリート片
風船爆弾の打ち上げ台の一部とされるコンクリート片

 太平洋戦争中の1944年11月、一宮町から米国本土を狙い、日本軍が開発した秘密兵器「風船爆弾」が打ち上げられた。翌年春にかけて同町など3カ所の基地から計約9千個が放たれ、米オレゴン州では民間人6人が犠牲になったとされる「ふ号作戦」。一宮町の基地があった周辺は今、国内有数のサーフスポットになり、新たな店舗や住宅が立ち並ぶ。作戦開始から80年。当時の面影は消えたが、地元に残る数少ない資料は、戦争の歴史の一端を今に伝えている。

 風船爆弾は、太平洋戦争時に日本軍が開発した気球型の兵器。和紙をこんにゃくのりで貼り合わせて作った直径約10メートルの気球に、 ・・・

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