2024年7月13日 05:00 | 有料記事

「ごんたや」網主が鉛筆で描いたイワシの干し場。筆者が彩色した
イワシ漁の産業化で生まれた九十九里の網元が、大家族としてどんな暮らしをしていたかを知りたくて、白子町の旧網元「ごんたや」を訪ねました。
当時の建物は一棟しか残っておらず、昔の暮らしぶりは想像しがたいです。しかし、網主から6代目に当たる鵜沢京子さん(当時72)が家を守っていました。通された広間の欄間には、波を彫らせたら右に出るものがないと言われた安房国出身の彫刻師・伊八作と思われる富士山と荒波の精緻な透かし彫りがはめられていました。
欄間の下には、初代の権太と二代目の伊之助の肖像画から始まり、次が ・・・
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